君は自分の価値をもっと理解した方がいい 3





一騎の願いは総士の望みを叶えること。
なのに自分を気にかけてほしいと、自分だけを見てほしいと――、 心の中で大きくなっていく欲望が、その願いを邪魔するのだ。 総士を好きな気持ちは、一騎が黒い海に沈めずに残したたった一つの綺麗な感情で、 それは総士に従うという一騎の行動を、プラスの側面から肯定してくれるもののはずだった。

「その言い草だと、普段僕が冷たく接しているみたいに聞こえるが?」
「総士は俺の言葉を本気で信用してくれたことなんてないだろ」
「違うな。僕はお前がそれを真剣に言っているのを承知で、 それが間違いだと言っているんだ」

そう、自分は全然一騎の言葉を信じてはいない。
恋なんて所詮まやかしだ。

「そんなのもっと酷いじゃないか……」
「そんな僕にお前は惚れたんだろう?」

自信過剰な発言に、一騎は二の句を継げないでいる。
好きな相手の望みを叶えることの一体何が悪いのか。 一騎の作り出した理論には、総士を傷つけたことによる償いなんて、要素は介入する余地がない。 そういう綺麗な思いだけで生きて行けたら、どんなに楽だっただろう。 けれど一騎が俯かずに生きていくために残した感情は、そんな彼の願いを潰していく。

『俺は、……ずっとお前に謝れなかった。 顔も見れなくて、声を聞くだけでも怖かった。 弱くて卑怯で、醜くてちっぽけな人間だ。 ……そんなこと、システムに繋がなくたって最初から知ってただろう!?』

彼の叫びは自分の弱さや卑小さから来るものだけではない。
もし一騎の願いが一騎だけのものならば、ここまで苦悩することはなかったはずだ。

一騎の願いはすなわち、総士の望みの成就である。
彼の手足になること、彼の命令を至上のものとし、それを実現していくこと。 そこに一騎自身の意志が介入する余地などなく、 殺せるものなら一騎はとっくに自分で自分を殺していたことだろう。 あの日彼から左目を奪った自分を、彼をファフナーに乗れなくなった原因である自分を殺して、 全部なかったことにしたい。 その欲求はずっと一騎の中に燻っていて、一騎を死へと突き動かしていた。

でも魂のない身体など、ただの抜け殻であり、 肉隗になった自分には、総士の望みを叶える術などない。
総士の望みを叶えるために、一騎は生きねばならず、 そのための拠り所として選んだのが、彼に対する恋情だった。 それは死んだように生きる一騎の唯一の命綱であり、暗い海に侵食される一騎の心を導く灯火だったのだ。

総士の望みは一騎の至上命題。
何をおいても叶えなければならないものだ。
一騎の失敗を総士は自分の責任だと言ったけれど、 それもできずに挙句失態を庇われるなど、本来ならあってはならないことだった。 だから一騎は力のない自分を、そんな自分を庇った総士を憎んでいる。

「……一騎は、綺麗なものだけを見て生きていたかったんだな」

総士の呟きに一騎は首を傾げてみせた。 訳がわからないと、続きを促している。 総士は一騎の意図を正しく把握しながらも、それに答えようとはせず、 口元だけに笑みを浮かべていた。
無理に純化された感情は、どんどん歪みを増していく。 綺麗なものを望むのなら――、 誰からも後ろ指を指されることもなく、もっと楽に生きていける方法があるだろうに、 一騎は決してそれを選ぼうとしない。

「……お前は僕が以前、遠見を守れといったのを憶えているか?」
「ああ。でも俺はそんなの、承知していない」

いくら総士の頼みでも、それはできないと一騎は頑なに首を振る。
身体に消えぬ傷を負ったのは総士だったが、 同時に一騎もまた精神的な部分に傷を抱えていた。 暑い夏の日、手にした棒切れ。 滴る液体と泣き叫ぶ声が、記憶の底にこびりついて離れないのだ。 可哀想な一騎。 顔を強張らせ否定の言葉を吐く一騎を、総士はただ嗤っていた。

「……総士?」

呼びかけられてもこみ上げてくるそれを、止めることなどできはしなかった。 唇が横に引かれたのを見て、ああ怒っているなと思う。 たぶん自分がまた彼の心を疑っていると感じているのだろう。
遠見真矢を守れと自分は言い、一騎はそれを拒絶した。 その否定の言葉を疑っている。 確かにそれは間違いではない。 総士は一騎の紡ぐ言葉を、認識そのものを信じていないのだから、 それは当然の帰結だった。

「何回でも言う。……俺は総士が好きだから。それだけは絶対譲れないからな」
「それくらい言われなくても知っている」

一騎の思考パターンは全て把握しているから。

「それでも信じてないんだろ?」
「いい加減わかってきたじゃないか」

一騎の根源的な部分に刻まれてしまった皆城総士という存在は、 常に彼を脅かし、恐怖させるものでしかない。 そうして自身に恐怖をもたらすものを、人は嫌悪し遠ざけようとする。 だが総士を傷つけたことで精神を病んだ一騎には、総士を物理的に痛めつけることなど二度とはできず、 狭い島の中で生活する以上顔を合わせない日などないに等しいかった。
恐怖を与えるものが排除不可能なものだとしたら、一体どうすればいいのか。 答えは簡単、すぐに目の届く位置において見張っていればいい。

一騎に傷つけられた経験を持つ総士は、 この世界でただ一人無条件に一騎を詰り、罵倒する権利を持っていた。 被害者はときに加害者よりも立場上強くなる。 総士に命令されれば、一騎はノーと言うことなどできはしないのだ。 相手が何を望むかも知れず、一騎にはそれを拒否する権利はない。 それがただ怖かったのだろう。 総士の存在は側にいるだけで一騎を脅かしたけれど、 その反面総士が側にいれば、それだけで一騎は安心することができた。

心の中なんて見ることはできなくても、 一騎がいかに被害妄想で、総士が彼の死を願っていると勘違いしていようとも、 優先順位は目の前の事象にある。 総士が一騎を口汚く罵ることもなく、 自分の目の代わりにといって眼球を抉り取ることもない。 総士がファフナーのシュミレーションの解説をしたり、 仮眠室で休憩を取っていたり、学校に来て授業に耳を傾けていたりする。 そんな些細なことが一騎にとっての安心だった。 一騎を傷つけることができる総士が、その権利を行使しないこと。 総士が普通にしていることを、常に確認していなければ息も吐けない。 だから一騎は総士を捨てて、真矢を選ぶという簡単な選択ができないのだ。

「お前は遠見といることでずいぶんと癒されていると思っていたんだが、 それは僕の勘違いか?」

真矢は決して一騎を脅かさない。
そしてそんな真矢の前でなら、一騎は弱音を吐き憚らず泣くことができた。 少年の潔癖さで、正しいもの、純粋なものを好む一騎のことだ。 彼女が一騎に恋慕を寄せているのは誰の目にも明らかだったし、 そんな彼女を拒絶せずに側においておくということは、 一騎も相手を憎からず思っているということだろう。

「ファフナーから降りたとき、破壊衝動に駆られた自分が恥ずかしくなって、 お前が途端に無口になるのも知っている。 だけどその分……、お前が戦って壊してきたものの数だけ、 救われる人もいるんだと信じていいんだ。 ……お前が戦い傷ついて島に帰ってきたとき、彼女の笑顔を見れば、 自分の守ったものの大きさがわかるだろう」

島の中にはパイロットをただの消耗品のように見なす人がいる。 島を守って戦うのが当たり前だと思っている人もいる。 それでも遠見真矢は傷ついて失われていくものを、まだ素直に嘆くことができた。

「一騎は遠見を好いているようだったし、戦いのない頃の島の面影を凝縮したような――、 穢れを知らないものの方が、よりいっそう守る気になるだろうと踏んでいたんだが」
「それでも……、俺は総士を守りたい。戦うなら総士のためがいい」
「例えそれが罪悪感から来るものあったとしても?」

沈められていたたくさんの感情を誤魔化すための恋情。
あの事件以来ねじれてしまった自分たちには、肯定的な感情などほとんどないに等しい。 それでも総士に向けるものの中で、たった一つ綺麗な感情を頼りに、 それに殉じて戦うのだと言い聞かせていれば、一騎は余計なことで苦悩する必要はなかった。 全ては罪悪感を誤魔化すための作りものに過ぎなくても、 一騎にとってはそれだけが真実で全てなのだ。

「……ずっと小さかった頃から、お前の一番近くにいるのは俺でありたかった。 途中拗れたせいで、その感覚は多少おかしくなってるかもしれないけど、 それは今も変わらないと思う」
「多少どころかそれはお前がおかしいんだと、 僕は散々口をすっぱくして言ってきたはずだ」

一騎があの頃自分の側にいたのはあくまでも友情からだった。
総士には友情と恋愛の違いなんてわからない。 だからそれは一騎の勘違いで、彼を死地へ送り出す自分を守りたいだなんて言うのは、 一騎の頭がおかしいからに決まっていると、総士の出した結論はこうである。

「罪悪感に縛られてるだけだって?  それはそうかもしれないけど……、それだけじゃなくて嬉しかったんだ」
「嬉しかった……?」

時々一騎は理解不能なことを言ってのける。

「ファフナーに乗ることが決まったとき、敵と戦う恐怖だとかそんなものよりも、 お前があのシェルターから俺を――、 俺だけを選んで連れ出してくれたことに対する喜びの方がずっと大きかった。 罪悪感だけなんかじゃない。 お前の一番近くにいたかったから、俺はファフナーに乗ったんだ――」

選ばれて感じたのは歓喜。
そのとき果林が死んで、適性が一番高いのが自分だったなんて、一騎にはどうでもよかった。 自分からは決して近づけなかった彼が手の届く位置に来たのだ。 その他大勢のクラスメイトの中から、連れ出され彼にとっての特別になる。 緊張から来るものではない高揚に身を焦がしながら、優越感に溺れていた。
一騎の総士に対して抱く感情は、常にプラスかマイナスか。
メーターの針を振り切るほど強いものでしかなかった。 太陽を直に見て、視界を白い光に焼き尽くされる感覚に似ている。 目が傷んで、しばらく景色がまともに見られない。 それ以上強い光でないと視認できない。

「殺し文句、だな」
「えっと、そういうつもりで言ったんじゃなくて、その……」
「そういうつもりじゃないんなら、一体どういうつもりで言ったんだ?」
「だってファフナーに乗ったのも、総士を守りたいのも、 償いだけじゃないってきちんと言わないと、総士がまた勝手に勘違いするだろ……」

一騎にも自覚できていない感情を、 総士は度々勝手に分類して決め付けてしまう。
それはもっともらしくて、 一度そうなってしまえば、ひっくり返すのは非常に困難なことだった。

「まぁ……仮に一歩譲ったとして、一騎の気持ちはわからないでもない。 僕も甲洋や剣司と同じような区分に一騎を入れるかと問われれば、 答えはノーだからな」

直視した太陽の残像がしばらく目蓋の裏から消えないみたいに――。
わかるのはあの日、自分を傷つけた一騎が特別な存在になったということ。

「じゃあ……!」
「それでも女の子のように無条件で守ってもらいたいだとか、 逆にお前を守ってやりたいだとか、そんなことは思っていない。 勘違いするな、変態」
「変態って……」
「崩壊以前の世界は人の嗜好に寛容だったらしいが、 人口が減少の一途を辿る今、同性に懸想するような人間はマイノリティーなんだ。 そのくらい言われる覚悟がなくてどうする」

一騎に勝手に彼の感情を決め付けていると言われたことを、 総士は根に持っていた。 それ以外に一騎が総士を好きになる理由なんてないのに、真剣にそれを訴える一騎が不思議で仕方がない。 けれど彼には戦ってもらわなければならないから、 だったらわざわざ訂正する必要なんてないのかと、総士は思い直した。

「一騎、一度だけしか言わないからよく聞いておけ。 島を守るのは僕の義務だ。 この戦いが終わるまで、他のことにかまけている余裕はない」
「それがお前の答え、か……?」

今までだって散々拒絶されてきたのだ。 そうなることくらい一騎にはわかっていた。 だが面と向かって言われると、さすがに落ち込まずにはいられない。

「ああ、だからパイロットである真壁一騎に一つの権利をくれてやる」
「権利……?」
「ジークフリードシステム、 あれはこの島の地下、ちょうどCDCの真上にある。 知っているな?」

知っているなんてものではないが、一騎は呆然と頷いていた。
史彦は息子を失わないために、一騎は自分自身が生きていくために――、 誰も彼も総士を利用しようとしている。 そしてファフナーに乗ることのできない総士は、 利用され代わりに利用し返すことでしか妹を、島を守る術がなかった。

「僕は戦闘中、あそこで指揮を取っているが、 そのシステムがある島を守れ」

彼がそう望むのなら、自分は彼に生きるための意味を与えよう。

「……遠見のいる島じゃなく?」
「システムは戦闘の要だ。 あれがある限り、僕はパイロットに一番近い位置で指揮を出し続ける。 戦闘中、決してお前を一人にはしない。 ……それじゃあ不満か?」
「いや、」

童話では魔女との契約は代償が付き物と決まっている。
慈善事業ではないのだから当たり前だ。 何も知らない一騎の口元が綻ぶ。

「総士がそれを許してくれるのなら、それを約束してくれるんなら、 俺も戦うよ。 ――総士のために」

生きる理由を得るために、生命を削って戦うなんて、馬鹿げた話。
それでも逃がさない。 こうして自分は一振りの剣を手に入れたのだ。





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一騎は考えなさ過ぎだし、総士は疑いすぎなんだよ!
この話の総士は何かの病気かもしれない……(汗)
会話だけ打ってたときは、こんな暗い雰囲気じゃなかったんだけどな。
ほら、会話分だけ拾っていくと甘い感じがしませんか……?
どうやら私は小説版ファフナーのイメージから離れられないようです。
今回の話は一応「自分じゃ気付いてないかもしれないけど、
あなたが誰かにとっての戦う理由になることもあるんだよ」みたいなテーマで書き始めたんですが、
あまり達成できてませんよねー…。
実はこのあとに24話の総士が死んだと思ってるあたりの、
一騎と真矢の会話を入れたかったんだけど、それまでの内容に比べると長さが足りないんだよなぁ……。
でも書きたい。
その辺入れた方がまだテーマを達成できそうだし、
1話分の尺になりそうだったら、もう1つくらい続くかも。