君は自分の価値をもっと理解した方がいい 4





この思いだけが、自分が自分であると証明する唯一のもの。
それに殉じて死ねたなら、それはどんなに幸せなことだろうか。

「総士君の仇を討ちに行くのか?」

司令室で父と二人きりになるのは初めてだった。
アルヴィスの、その他大勢がいる場所以外で、 父と言葉を交わしたことはほとんどない。 恐らく一騎が島を脱走したとき以来だろう。

「ああ、だからそのために司令の許可がほしい」
「今の状況で島の防衛レベルを下げる訳にはいかん」

前もって予測できていたとでもいうように、 史彦は一騎の意見を一考の余地もなく却下してみせた。

「一度失われたものは帰ってこない。 フェストゥムを例え何十体、 何百体倒したところで皆城総士は帰っては来んのだ。 それはわかっているはずだろう?」
「父さん!」

そんな当たり前なことを、当たり前に説いてみせる父親の中で、 島のために全てを削って生きてきた彼の存在は、その程度のものだったのだろう。 そのことに愕然とする。
理で説き伏せる父親に、身体が思い通りに動くなら掴みかかっていたはずだった。 それでも同化現象で麻痺した右半身は、そこから先がまるで別の物体であるかのように、 自分の意志では動かない。 慣れない松葉杖で一歩踏み出すだけが、今の自分には精一杯で、一騎は下唇を噛み締めた。

「だけど……っ、それ以外にできることなんてもう何もないだろ!?  島なんてボロボロで……、もう守るべきものなんて何も残っちゃいない!!」

頭で考えるのも、言葉にするのも正直得意ではなかった。
感情に従って手足が動く。 考えるのはそのあとでいい。 直視するに耐えないものばかり抱えて生きてきたから、 深く考えずに目を逸らすことを覚えてしまったのかもしれないが、 とにかく一騎は熟考するよりも、 身体が動いてその結果から物事を判断するタイプであった。

でも今、右半身は何の反応も返さない。
思いを表現する手段がない。 それは息ができずに死んでいくような閉塞感を伴うものであった。 全身の重みを受けて、杖がぐらぐらと不安定に揺れる。

「抑制剤の副作用で、症状が進んでるんだ……。 あと2、3回でファフナーに乗れなくなる。 それで全部終わりだ」
「遠見先生の研究が間に合えば……、まだ助かるかもしれない」
「――助かるもんかっ」

同化症状を無理に押さえつければ、薬の効き目が切れたとき、 細胞の中のフェストゥムの部分が支配する領域を取り戻そうと、 すさまじい勢いで侵食を開始する。 そしてその勢いのままに、無事だった領域まで持っていかれるのだ。 段々身体が動かなくなる、心が徐々に死んでいく。 気休めなんて聞きたくなかった。

「自分のことくらい自分がよくわかってる!  行かせてくれよっ」
「……ダメだ」
「何で!?」

一騎が叫ぶ。
司令官である史彦は島の防衛のために、 真壁一騎の父親である史彦は息子の命を救うために、出撃許可を出すことはできない。 左手で松葉杖を握り締め、目の前の史彦を一騎はただ睨みつけていた。 右手は力なくだらりと垂れたまま、胴を振ればぷらぷらと揺れて空を切る。 史彦はそれを痛ましげに見つめていた。

「どうして……っ」

ダメだという一方的な禁止の他に、史彦はその問いに答える言葉を持たなかった。
亡き妻に生き写しの息子を、なんとしてでも生かしてやりたい。 それが妻に報いることになる。 そう思っていたけれど、一騎の言を借りるなら、 史彦にももう、それ以外にすべきことが見つからなかったのかもしれない。

「この腕も足ももう動かない!  目だって見えない、こんな俺に使い道なんかないだろ!?  早く島から放り出せよ、 そうしたら俺は総士を奪った奴らみんな道連れにして戦い続けるから、 左側も動かなくなるまで敵を殺し続けるから……っ、 島に……、敵なんか来なくなる。 総士の望みを叶えられる。 アルヴィスにとっても万々歳だろっ」

左頬を叩かれる。
安定の悪いこの身体で、倒れこまないのが不思議なほどの威力だった。

「……お前は自分が何を言ってるのかわかっているのか」

史彦の声が震えていた。
しゃべっているときに頬を打たれたせいで、口の端を切ったらしい。 苦い鉄の味がする。

「父さんは……、大人は綺麗事ばっかりだ!  俺たちをファフナーに乗せたのは大人だろ、なのに今になって戦うなって、何だよそれ」
「お前は今ファフナーに乗れる状態じゃない……。 お前たちはただの駒じゃないんだ」
「今乗れる状態じゃないって、今乗らなかったらいつ乗るんだよ!?  結局大人たちは俺たちを、 換えの利くファフナーの電池くらいにしか思ってないってことなんだろ!」
「一騎っ」

島の子供たちをファフナーの電池と称したのは、 人類群に組した今は亡き、ミツヒロ・バートランドだった。

「ファフナーに乗れなくなった俺を降ろすっていうのは、そういうことだ。 俺が島から出たときみたいに、結局誰かが代わりに乗るんだろ。 でも俺がいなくなったら誰もザインには乗れない……。 だったら島にとってはあれはあってもなくても同じことだ。 なぁ父さん……、行かせてくれよ……っ」

一騎は史彦の腕を掴んで懇願した。
空調の効いたアルヴィス。 着込んだ上着の下で、ぞわりと鳥肌が立つ。 自分さえも省みない息子の姿に、 人は誰かのためにここまで己を投げ出せるのかと、史彦は戦慄を覚えた。

「……コアは移植できる。 あれはもともとマークエルフのコアだ。 新造機に積み替えることも可――」
「――ザインは俺が総士のために作った機体だ!  そんなことをしたら父さんでも絶対許さないからなっ」

総士の望みを叶えること。
それが一騎の存在意義だったから、 総士は頭で一騎が手足なんていう区別は彼の中で、考えるまでもなく当たり前のことだった。 総士がそう呼ぶなら、一騎はその瞬間から真壁一騎ではなくマークザインなのだ。 逆にマークザインとして存在していても、総士が一騎を一騎と呼ぶのなら、 いくら自分がどろどろに溶けて別の存在になったとしても、一騎は元に戻ることができた。
マークザインは一騎と総士の関係そのものであり、 ジークフリードシステムはそんな二人を結ぶ絆だった。

『戦闘中、決してお前を一人にはしない』

戦場でなら、一番近い場所にいられる。
システムがある限り、一騎と総士は一つに繋がっていられた。 彼がそう約束してくれたから、自分も彼と共に戦い続けると誓ったのだ。 変性意識を受け入れることも敵を同化することも、何も怖くはなかった。 自分という存在をそこで失ったとしても、彼がまた新しい自我を与えてくれさえすれば一騎は戦い続けられた。

なのにその総士はどこにもいない。
二人を繋いでいたシステムももうない。 そんな中で、ザインまで奪われるわけにはいかなかった。

史彦の掴まれた腕がみしみしと音を立てる。
どうしても息子を死地へ赴かせたくなかった史彦の言葉は、 明らかに一騎の逆鱗に触れていた。

「総士もシステムもないのに、ザインまで俺から取り上げるのか!?」

一騎は償いと称して、自分の持ちうる全てを総士に捧げてきた。
自分自身のことを決める権利すら、一騎にはない。 それは一騎自身の持ち物ではないのだ。 代わりに生きる意味も感情も、必要なものは全て総士が与えてくれた。

「総士がいないんだ……っ、もうどこにも!  ザインに乗ることしか、他に俺に意味を与えてくれるものがないんだ」

一騎を生かすために、皆城総士を利用しようとした罰だろうかと史彦は思う。 一騎の慟哭に共鳴し、軽くものが砕けるような音がした。 麻痺して動かないはずの、一騎の右手から生まれた光。 薄暗い部屋が淡く照らし出されていく。

「かず……、き」

史彦は驚愕に目を見開く。
生体から伸張してくる有機物とも無機物とも判断がつかないそれは、 緑の輝きを内側に灯していた。 大勢の仲間があれに取り込まれて消えていった、忌むべきフェストゥムの象徴である。 その欠片が床の上に落ちて四散した。

もう一騎のものではない右側。
重力や遠心力のいうことは聞くくせに自分の思い通りにはならない、身体の一部だったもの。 一騎は急に軽くなって持ち上がった右手を静かに見下ろしていた。 確かめるように指を曲げては開く、その動作を繰り返す。 その中央で水晶体は少しずつ成長を続けていた。

「……動く。 でも治ったわけじゃないのか」

右手が一騎の思い通りに動くようになったのではない。
残った一騎の左半分が右側に、フェストゥム側に取り込まれていっているのだ。 総士がここにはいないのに、先ほどまでの怒りが嘘のように凪いでいく。 何も感じなくなっていく。

「総士を奪ったものと同じになりかけてる……」

もう時間がないと覚悟はしていた。
けれどそういう諦めとは異なる感情。 嵐のときでも海の底は、静かに凪いでいるのだという。 暗い海の底にはいろいろなものが沈んでいる。 喜びも怒りも悲しみも、全てがそこに存在していた。
そう、沈んでいるだけでまだなくなったわけじゃない。 一騎は紅く染まった瞳で父を仰いだ。

「北極に行かせてほしいんだ。 邪魔をするなら父さんを同化する」
「馬鹿なことを……!」

穏やかな一騎の口調とは裏腹に、史彦は吐き捨てるように答えた。 もう自分は彼が知っている息子ではないのだ。 怯えて下がらなかっただけでも上出来だろう。

「俺は本気だ。 こんなになってようやくわかったんだ。 ……フェストゥムは人とは違う原理で生きてる。 好きだから同化するなんて当たり前の話で、 相手のことが憎くて仕方がなくても一つになれるんだ」

幼かった総士は近しい関係であった一騎を同化しようとした。 一方で総士を奪ったフェストゥムを、一騎は攻撃し、同化しようとした。 感情は真逆でも、表れる行動は同じ。 なぜなら愛や憎しみといった明確な区別を持たないフェストゥムは、 それ以外のやり方を知らないからだ。 どちらにしろ、相手が目の前からいなくなるという結果に変わりはない。 そんなものに総士を――、自分の生きる意味を奪われたのだ。

「憎しみだっていいんだ。 俺が完全に俺じゃなくなる前に、 あいつらと同じになってしまう前に……、人として死なせてくれよ……っ、父さん!」

あと少ししかファフナーに乗れないというのなら、 自分から総士を奪ったフェストゥムを、一体でも多くの敵を倒したい。 戦って戦って、その果てで敵に同化されようが後悔なんてしない。 ザインのデータを持っていかれると困るから、本当は自爆の方がいいのだろうけれど、 戦いの最中のことなんて保証はできなかった。

五感も感情も全てが遠くなる。
海の底に沈んでいく――。





「皆城君の守りたかったもの、全部壊れてなくなっちゃったね……」

北極に進路を取りつつある竜宮島は、 かつて日本があった緯度を超えて、雪がちらつき始めていた。
ひとり山と呼ばれる場所の頂からは、表面が抉れ剥き出しになった大地の中身がよく見える。 彼が守ろうとした島の、今の姿。

「北極に行くの?」

横に並ぶわけではなく、一歩退いた位置から真矢が問いかけた。

「ああ」
「そっか……。一騎君はそうするような気がしてた」

一騎が一人でここに来たのは、 今の自分が不用意に誰かを同化してしまう危険があると、承知していたからだった。 史彦にはああ言ったものの、好き好んで誰かを傷つけたいわけではない。
真矢はそれを知っていたわけではないけれど、 一騎の周りの張り詰めた空気に、近づくことを一瞬躊躇い、その場所に落ち着いたようだった。 そんな人に機微に敏い真矢に、一騎は少しだけ救われた気持ちになる。

「……遠見は、どうするんだ?」

隣ではなくやや離れた場所を選んだ真矢に、一騎は自分から後ろを振り返って尋ねた。

「一騎君のお父さんに――。 ううん、司令に呼び出されて同じこと訊かれたけど、私は行かない。 お母さんやお姉ちゃんがいて、翔子が守ろうとした島だから、 今度は私が守ろうって決めてるの」

島のためにとみんなが戦い、死んでいった。
けれどその実、島のために戦った人間など誰一人としていなかったのだ。 特定の誰かのため、大事な人がいる場所だから島を守りたい。 一騎だって少し前までそうやって戦ってきたのに、 真矢にはあるその理由が、今の一騎にはもう存在していなかった。

「遠見らしいな……」
「そうかな?」
「戦いが始まったばかりの頃、総士に遠見を守れって言われたんだ。 総士は島が平和な頃の面影を、遠見に見てた。 誰よりも遠見がファフナーに乗れないこと、喜んでたのはあいつなんじゃないかな」

まだ島が平和を保っていた頃から、その裏側に関わり続け、友人を戦闘に送り出すことになった彼と、 晒された島の真実に適応できず、ファフナーに乗れなかった彼女。 けれど戦場に出ることができなかったがゆえに、彼女は平和だった頃の名残を強く残していた。 総士にとって、自分の持たない全てのものの象徴が、遠見真矢という人間だったのだ。

「それでも変わらないままじゃいられないから、私は戦うことを選んだ――。 一騎君は何のために戦うの?」

全てを射抜く、彼女の強い眼差し。
戦うことと無縁であったはずの少女は、今自らの意思で戦場に立っている。

「システムのある島を守る。 それが俺が選んで総士が認めてくれた、たった一つの権利だから、 俺はそのために戦うって決めた」

総士は一騎が、自分と正反対の位置にいる真矢と共にあることを望んでいた。 総士の至上命題は島を守ることであり、他のことに割ける余力などないに等しい。 だからこそ思い知りたかったのだろう。 総士は一騎を、決して手の届かないところに置いておきたがっていた。 そんな不器用な彼が、過去形にできないくらい今も愛しくて仕方がないのに――。

「システムと島……。 一騎君はいなくなった皆城君のために戦うんだね」

総士が守ろうとした島は無残な姿を晒し、島と共鳴関係にある皆城乙姫は医務室で寝込んでいる。 そして一騎が守ろうと決めた皆城総士はもうどこにもいないのだ。 一騎が今戦う理由など、どこにも存在しない。 真矢が翔子に対してそうしたように、 総士が守ろうとした島というのも理由の一つになるのかもしれないが、 けれどそれは総士が死んだと認めて、彼を過去のものにしてしまうことだった。

「ごめん」
「悪いって思うならここにいてくれればいいのに。 ……それでも行くんだよね?」

返事が返らないことは肯定と同義だった。
もともと口数は少ない方だったけれど、今の一騎は壁一つ隔てて別の場所にいるみたいで、 真矢の言葉が聞こえているのに、胸のうちにまでそれが届いていない。 どれだけ言葉を尽くしても、死に行こうとする彼が、 自分の意志を変えることはもうないのだろうと思う。

「……まだ戦いを知らなかった頃、 何でこんな簡単に生命が失われていくんだろうって思ってた。 今でもそれは変わらないのに、 それはどうしようもないことなんだよって、考える自分がいるの」
「――この世界に敵が、フェストゥムがいるから」

一騎の瞳が凪いだ海のような静けさではなく、確かに強い光を宿した。 暗く淀んだ意志の光。 その瞬間だけ遠かった一騎が現実に近くなる。 そのことに真矢は小さく、歪な笑みを浮かべてみせた。

「そうだね。何もしなかったらきっと、もっと奪われて全部なくなってしまう。 だけど一騎君、憎しみだけに囚われないで。 楽しいこと、いっぱいあったよね?  海水浴にも行ったし、合宿もしたし、みんなで銭湯を貸切にしたこともあったっけ?  そういうの全部忘れないでほしいの……。 ……何も知らないときなら、そう簡単に言えたのにね」

遠い場所にいる一騎に話しかける。
翔子を甲洋を死なせてしまった総士を罵倒したこともあったが、 それでも戦場に立った今、守ることが容易ではないと、真矢はすでに知ってしまっていた。

「今でも遠見は変わらないよ」
「私がこの島を守ってる。 皆城君が守ろうとした場所、一騎君が帰ってくる場所――。 だから死なないで、生きて戻ってきて」

目を伏せて、一騎がここではない戦場で一人生命を落とすことがないように祈る。 凍てつき澄んだ空気をサイレンが震わせて響いた。

「……敵だ」

どんよりと重い空の、向こう側を一騎は睨みつける。
敵を屠るためだけに、ブルクへと足を進めた。 残した足跡に、一片の雪が落ちて消える。 総士がいない今、この憎しみだけが一騎の支えだった。





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書いては消し、書いては消し。
シーンだけは決まってたのに、終わるまでが異様に長かった4話目……。
総士の価値がこのシリーズの本題なのに、
最初さらっと書いたときは、一騎が自分の喪失の方に重きを置きすぎて、
総士がいなくなった慟哭をあまり表現できなかったという経緯があります。
なので書き直し。
そのあとも何度も書き直し、エンドレス(泣)
私は鮒の中で何が好きって、恐らく一騎や総士よりも、
フェストゥムやらシステムやらの設定なんじゃないだろうか……。
本編で詳しく語られてない分、想像が膨らんで力が入っちゃうんですよねー…。
その分文章もどんどん長くなる(笑)
4話分、お付き合いいただいた皆様方、本当にありがとうございました!