ガラスのハイヒール





「止まれぇーーー!!」

僚が吼える。
ルガーランスを構え、アインが跳躍した。 先手必勝とばかりに敵を一閃する。

「あと一体!」

二体で攻めてきたうちの残り一体は、ふよふよと後退を始めた。
退いてくれればいいというものではない。 島のことを知られた以上、生かして帰すわけにはいかないのだ。 相手も完全に逃げるつもりはないらしく、一定の距離を取りつつ、こちらを誘っている。 ツヴァイと共に挟み撃ちにしようと、アインがすり足で動き出した。 そのじりじりとした動きに合わせて、フェストゥムも微妙に向きを変え、常にアインと正面で相対する形になっている。 いやなプレッシャーのかけ方だった。

「島の後方から新たな敵が接近」

睨み合いの緊張感を破るように、総士の声が告げた。 どうやら今までのは時間稼ぎだったらしい。

「数は一、同じくアルヘノテルス型。奴は増殖タイプだ。上陸されれば、あっという間に島を乗っ取られるぞ!」
「蔵前、向こうの奴は任せた。俺はこいつを叩く!」
「わかりました!」

ネタがわかれば、いつまでも引っかかっているわけにはいかない。
それまで牽制が嘘のように、アインは敵に切りかかっていく。 総士が操縦するリンドブルムが低空飛行を始め、ツヴァイがそれに手を伸ばした。 接続するために、体制を整えている間がない。 バランスは悪いが、飛べないことはなかった。

「あそこ! 皆城君、空中から奴の上に落として」
「やれるか?」
「やってみせるわ」

腰からマインブレードを引き抜く。
上空から敵の背中に覆いかぶさるように、ツヴァイが落下した。 フェストゥムがそれを引き離そうと身をよじり、ワームスフィアを周囲にばら撒く。 余波を恐れてか、そう大きな塊ではない。 しかしいくつかは着弾し、ツヴァイの装甲を抉っていった。

「……っ、振り落とされてたまるもんですか!」

手にした刃を握り締める。
それを敵の頭部、もしくは背ともいえる場所につき立てた。 上がる爆音。

「蔵前がやったのか!?」
「なら俺も……、グズグズしてらんないよな!」

まるで槍のように、ルガーランスを敵に向かって投げつけた。
それがコアに向かって吸い込まれていく――。

「……シュミレーション訓練終了」

使えるパイロット、使える機体。
嫉妬なんてもう捨てたはずなのに、かすかに心に燻るものがある。 総士はシステムから手を引き抜いた。





「コーヒーいる?」
「ああ、もらっておく」

例のごとく、ブリーフィングルームで反省会である。
メディカルチェックを済ませた果林は、僚よりも一足早く部屋に来ていた。 総士はもらったコーヒーで軽く咽を潤す。 これだけシュミレーションに慣れれば、もう慶樹島の演習施設でファフナー同士、模擬戦闘を行わせてもいいかもしれない。 資料を用意しながらそんなことを思っていると、彼女が言いづらそうに口を開いた。

「将陵先輩の変性意識って、積極的っていうか、元気っていうか、ちょっとエネルギッシュよね……」
「ニーベルングの影響だけじゃないんだろうな。 先陣切って戦ってくれるのは有り難いが、普段の飄々とした性格に慣れていると扱いづらい」
「私は?」

好奇心という言葉を張り付かせて、果林は総士の顔を覗き込んだ。

「蔵前はもとの性格が周囲に同調しやすいからな」
「わかってるわよ。それでみんなに迷惑かけたんですー。歩く公害っていわれても、仕方ないわよ」
「誰もそこまでは言っていない」
「でも、そう思ってるんでしょ?」

確かに渦中にあってそれは否定しないが、咽もと過ぎれば熱さ忘れるというやつで、今更どうこう言う気もない。

「……相手に合わせる癖がついてる分、蔵前は機体との一体化率が高い。 おまけに普段から自分を作っているから、変性意識で大きな差が出にくいんだ」

事実だけを淡々と述べる。

「それって、ちょっとは役に立ってるってこと?」
「ああ」

はっきりした形で褒めない総士の言葉は、果林にはわかりづらかったらしい。

「そう……、そうなんだ。ならいいわ」
「一人で納得するな。気持ち悪いぞ」
「何の話だ?」

ドアが横にスライドし、僚が中に入ってきた。

「あ、いえ……」
「先輩の変性意識について、ちょっと」
「そんなに俺のって、評判悪いんだ?」

自分でも違うという自覚はあるらしい。

「驚いてるだけですよ」
「ふーん。……まぁ、俺としてはなるほどって感じだったけど」
「どういうことですか?」
「あれに乗ってる間は、ファフナーの身体が、俺の身体ってことだろ?  生まれたときから健康だったら、ああいうふうになったんじゃないか、ってさ」

身体が動く、走る。
その躍動感に突き動かされるまま、心もはやる。 心と身体は密接に繋がっているのだ。

「本当はこうなりたい、理想の自分? 生きながらにして生まれ変われるなんて、思わなかった」

そのために死にたいとは思わなかったけれど、ああなりたかったのは事実だ。 それが僚が僚としてあるうちに経験できるのなら、幸せというものだろう。

「先輩って、結構前向きですよね」
「そうかな?」
「私は人格が分裂したみたいで、楽しむどころじゃありませんでしたよ」

少し前の自分。 どん底のままなら、それをネタに軽口を叩くなんてことは絶対にしなかっただろう。

「確かにそれと比べたら、俺のは深刻さが足りないよなぁ……」

総士も、果林も、僚も。
ファフナーに乗ることで、失ったものがあり、手に入れたものがある。 かつての自分では手に入れることのできなかったものが。





夜のしじまに影が落ちる。

「何……? これ……?」

痛みで目覚めた。
まるで金縛りにあったように、手が自分の意志で動かせない。 指先を動かすといった簡単な動作さえできず、痺れだけが強くなっていく。 そうして朝が来て、空が白み始めるまで、小刻みに震えながら、果林は痛みに耐えていた。





「蔵前、目……」
「目?」
「目が赤いままだ」

その日の訓練が終わったあと、メディカルルームに向かうため、果林を待っていた僚がそれを指摘した。 昨日までと変わらない日常のはずだ。

「嘘、私ファフナー降りてるのに……」

通常ファフナーに乗っている状態のパイロットの瞳は、赤く染まっている。
だがそれは、搭乗後には元に戻るはずなのだ。 鏡もない場所では確認できない。 視界に異常はなく、目の前に広げた手のひらも普通に見える。 自覚症状はなかった。

「同化現象……? これが?」
「蔵前、遠見先生のところに行こう」

僚が冷静に告げた。

「いやっ、皆城君には言わないで!」
「総士は俺たちの指揮官で、知られるのは時間の問題だ。そんなことよりも早く先生のところへ――」
「お願い!」

果林が僚に縋りついた。
誰にも知られたくない。 総士には絶対に知られたくない。 せっかく役に立つといってもらえたのに、これで終わりだなんていやだ。 このままじゃ終われない。 終わりたくない――。 今はまだ僚しかそれを知らない。 この人さえ何も言わなければ、――いなくなれば、誰もそれを知らないのに。

「あ……、ああぁ!!」

膝から床に崩れ落ちる。 自分の手のひら。 緑色の結晶が身体の内側から成長し、きらきらと輝いていた。





「総士君は覚えが早いな。もともと頭のいい子だということはわかっていたが」

真壁史彦は元日本自衛軍に属していたことから、戦術アドバイザーとして雇われ、司令代理の肩書きをもらっているが、 戦闘にならなければ、普段すべきことはほとんどない。 自宅で気ままに轆轤を回すだけだ。 それが最近システムに乗ることになった親友の息子のために、家庭教師の真似事をしていた。

「研究者だった鞘に似たんだろう」
「若い頃のお前にもよく似ている」
「私はあんなだったか?」

公蔵が眉をひそめて、首を傾げる。

「ああ、必死なところがよく似ているよ」
「……私はお前や溝口のような戦争屋ではないからな。 鞘が死んだときも仇一つ打てなかった……。 だからといってフェストゥムと戦いたかったわけではないが、 戦うことができないあいつの、もどかしさや無力感はよくわかっているつもりだ」

失ったあとに戦って、その悲しみを誤魔化す術を知らないからこそ、喪失を恐れているのかもしれなかった。 だから事前に対処しようとする。

「お前は理性的な男だから、戦いは向かんのだろう」

瀬戸内海ミールを管理してきた財団に生まれた公蔵にとって、フェストゥムは敵ではなく理解すべき研究対象だった。 それは同化された鞘にしても同じことで、二つの種の共存を願い、死の間際、腹に宿る娘をミールに与えたのだ。

「フェストゥムと理解し合えると、お前はいまだに思っているのか?」
「瀬戸内海ミールに敵対の意志はなかった。それはこの島に生きるお前も知っているだろう。 ……フェストゥムはミールの意志で動いている。北極海ミールを説得、もしくは破壊できれば状況は変わると思っている」

二つの種の共存。公蔵と同じく敵に妻を同化された史彦は、まだそれを信じることができないでいた。





「何でおかしいと思ったときに、すぐ来なかったの!?」

ストレッチャーで医務室に運び込まれる。 遠見千鶴の怒号が響いた。

「……先生。私、まだファフナーに乗れますか……?」

果林が千鶴の袖口を掴む。

「今はそんなことよりも自分のことを考えなさい」

「私まだ乗れますか?」

もう一度繰り返した。 答えなければ、きっと何度でも聞き返すだろう。

「……こんなのはまだ初期症状よ。きちんと治療すれば、ちゃんとよくなるわ」

そこでようやく果林は、明け方の眠りを取り返すように目を閉じたのだった。





処置が終わるまで、総士は部屋に立ち入ることができなかった。
僚も同じく処置室の扉の前で待っていたが、容態だけわかると、総士の方に軽く手を置いて帰っていった。

「聞いた?」

彼女の瞳は濡れた紅玉のようで、人工子宮で眠る妹の瞳を思い出させた。

「最初あれだけ怖がってたのにね、ファフナーに乗れなくなるって思った途端、そっちの方が怖くなったの」
『私はファフナーになって戦う。同化されかけたら、さっきみたいに皆城君が腕でも足でも切り離して、助けてくれるんでしょう?』

システムに乗っていれば、指揮を取っていれば、死ぬはずの人間を救えるかもしれない。
けれどパイロットを戦場から生還させることはできても、ベッドの上で同化現象に苦しむ友は救えない。 システムに乗っていない皆城総士という人間は、こんなにも無力だった。

「……私、まだ戦えるわ」

この四肢はまだ彼に繋がっている。 それだけが果林の戦う理由だった。





<<    >>



DVDについていた特典リーフレットに、島を出ていく前に一騎が真矢と話していて手のひらから結晶が出てきたシーンの解説で、
自分の心のうちを話したことで真矢に親しさを感じたから、それが同化欲求につながった、
みたいな内容が載っていたはずなのですが、私はそれに若干の疑問を感じています。
確かに自分の心を打ち明けることで、相手に親密さを感じるのもありなのですが、
それとは別に相手に自分の一番弱いところを晒す恐怖感や、
相手が自分の秘密を誰かに話すんじゃないかという不信感というのも、同じくらい感じるものだと思うのです。
だから相手を同化することで、その不安を解消しようとする。
今回果林の手に結晶が生えてきたのは、僚に対して果林がそういう感情を持ったからでした。
けれどそれは人を信じることのできない心の弱さが原因だから、何らかの形で乗り越えていかなければならない、という。
このテーマはまた100題の中で書いていけたらいいなと思います。