彼はたった一人の名を呼ぶ 1
ファフナーはコクピットブロックを受胎する。
丸みを帯びたその形状はまるで生命を抱いた卵のようであり、死ねばすぐさま棺おけに変わる代物だった。
けれどそれは、ジークフリードシステムも同じことだ。
CDCの上にある、島に抱かれた卵。
シートに腰を下ろせば、伸びる産道を逆に伝って中へと入る。
視界が赤一色になり、空間上にモニターが複数展開した。
クロッシングで繋がった蔵前に呼びかける。
「島の北西、距離五〇〇に、スフィンクスA型種出現。敵は一体、慶樹島で迎え撃つ。絶対に本島へ近づけさせるな」
「了解」
海上からファフナーが打ち上げられる。
巨体が地響きを立てて、着地した。
ガルム44でフェストゥムを狙う。
コアに当たらなければ、攻撃は致命傷にならない。
ツヴァイを認識したフェストゥムが黒球を飛ばし、その身体があったはずの地面を抉っていった。
「敵との距離を詰めろ。離れればすぐにワームスフィアが来るぞ」
総士の指示を受けたツヴァイが、中を浮くフェストゥムと同じ視界の高さまで跳躍した。 銃身が火を噴く。 敵の触手が武器を絡めとり、左腕へ巻きついた。 輝く緑色の結晶が、腕を貫通する。
「同化!? いやよ、触らないでっ」
「左腕切断。蔵前、落ち着いてコアを狙え」
左腕と共に失ったガラム44の代わりに、腰にあるマインブレードに手を伸ばした。
右腕で突き立て、確実に刃を折る。
リンドブルムを装備していないツヴァイに飛行能力はない。
フェストゥムから離れ、支点を失ったツヴァイは重力に惹かれて落下を始めた。
一瞬収縮したコアが今度は外へ向かって拡大し、爆発する。
強烈な風が吹きつけ、背中から地面に叩きつけられた。
「マークツヴァイ、大丈夫か?」
ろくな姿勢も取れず、ひっくり返ったままのツヴァイに総士が声をかけた。
「うん、なんとか」
「そうか。ならシュミレーション訓練を終了する。三十分後にブリーフィングルームで反省会だ」
電子式のクリップボードを手渡す。
データの呼び出しだけでなく、付属のペンを使えば書き込みもできるので、話し合いや作業をしながらの入力にはもってこいの装置だ。
画面に触れると、先程終えたばかりのシュミレーションの結果が表示された。
「構想では、遠距離からでも敵のコアを狙撃できるようなタイプも作る予定らしいが、 アインもツヴァイもプロトタイプに近い分、基本的な性能しか有していない。 僕たちには僕たちに出来る戦いをするしかないだろう。 不用意にワームスフィアをばら撒かれれば、島への被害が大きい。 敵に接近すれば、相手も巻き添えを恐れて、攻撃を同化へと切り替えてくるはずだ」
今日の訓練では敵に近づいた状態での戦闘時間が稼げず、すぐに同化されてしまったが、 そのままフェストゥムとつかず離れずで戦闘を繰り広げるのが理想だった。
「囮になって、できるだけ敵を引き付けろってことね」
「僕たちの使命は敵を倒すことではなく、島を守ることだ」
総士が憮然とした調子で答えた。
「責めてるんじゃないわよ」
ファフナーは機械だから、総士がペインプロックを作動させて破損した箇所を切り離せば、それ以上痛みを感じなくなる。
人間だったらとっくに死んでいるだろう。
それでも戦えるのだ。
少し前まで果林は総士のことを、この島でたった一人の仲間だから、
ただそれだけでわかり合えると、助けてもらえると信じていた。
それがどれだけ相手の負担になっているのか気付かずに、一方的にそう望んでいた。
だから今度は自分が彼のために何かしてやりたいと思う。
「私はファフナーになって戦う。 同化されかけたら、さっきみたいに皆城君が腕でも足でも切り離して、助けてくれるんでしょう? だったら私は戦うだけよ」
自分の手足はシステムを通して、総士に繋がっている。 彼はファフナーで戦うことを望んでいた。 ならば彼が望むとおりに戦ってやることだけが、果林のしてやれる唯一のことだ。 アルヴィスやファフナーといったものが、自分たちを結びつける絆なのだから。
「今回の訓練の報告書です」
司令室にいる公蔵に、結果と課題をまとめたものを差し出す。
電気は発電機があるから島の中だけでまかなえるし、金属は海底から発掘することもできる。
けれど紙は貴重な資源だった。
なので情報媒体としてはほとんど使えない。
いまだに使用しているのは、学校の中くらいなものだろう。
「今すぐに目を通す。少し待てるか?」
「別に構いませんが」
受け取ったカードディスクを、パソコン本体の横に差し込んだ。 公蔵の目が上から下へと滑っていく。
「……一機だけだと負担が大きいな」
島への被害を軽減するために、パイロットに同化を強いるような戦い方のことだろう。
「初期ならばこんなものでしょう。使える機体、使えるパイロットが増えれば、状況は変わってくるでしょうが」
「使える機体か……。それを作り出すためにも、今はお前たちに頑張ってもらわなければならん」
現状は苦しい。
ティターンモデルはクロッシングで繋がったパートナー機としか行動中、意思疎通を図れない。
無線もあるにはあるが、直接本部と繋げば、フェストゥムの読心能力で読まれる可能性がある。
そのため複数の機体が、連携して戦うことができないという問題点があった。
人類軍ではそもそも作戦ということ自体を放棄しているらしい。
仲間がやられても、誰かがフェストゥムを倒せればよいという、数に物を言わせた人海戦術がまかり通っているのだという。
だが弱い人間がフェストゥムという圧倒的な存在と戦おうというのなら、それでは限界があるのだ。
ノートゥングモデルはジークフリードシステムを機体に搭載していない分、ティターンモデルに比べると小型で機動性が高い。
さらにクロッシングの相手をシステム搭乗者だけに限定することで、一度に複数の機体を作戦的に展開できるのが、ティターンモデルと違うノートゥングモデルの特長だった。
完成すれば、戦闘のあり方は大きく変わるだろう。
「ええ、わかっています」
「パイロットに関しては有事以外の徴兵は難しいが、お前には知っておく義務があるだろう。これを持っていけ」
総士が公蔵に提出したのと、同じ型のディスクを差し出された。
「これは……?」
「パイロット適正データだ」
アルヴィス内でも司令やアルベリヒド機関の一部にしか閲覧できない、重要機密である。 総士が手にしていいものではない。
「父さん……」
「今の三年生で使える者は、L計画に選抜された。
それよりも年嵩の者たちは同化現象やファフナーの開発実験で消えていった。
恐らく、島でフェストゥムを迎え撃つことになるのは、お前たちの学年になるだろう」
「……そうですか」
「他の連中はファフナーを使わずに、撃退できないかと考えているようだがな。
私はそんなことが通じる相手だとは思っていない。だからこれを渡しておく」
誰が死に、誰が生きるのか。
実際に戦闘に入れば、悩むことができるような時間はもうない。
それは誰にとっても同じだが、極秘資料を総士に横流ししたのは、公蔵の親心だろう。
ディスクを持った手に力が籠もる。
「いざというとき、お前がうろたえれば、パイロットたちも迷う。心を決めておけ」
島の代表としての顔に、父親としてのそれが入り混じる。
「今更余計な心配です。島の子供たちを友達だとは思っていません。 最初から僕と彼らではあまりにあり方が違い過ぎた……」
総士が彼らに抱く感情は友情というより、憧れに近い。 自分には手に入らないものを、彼らのうちに見つめてきた。
「確かにお前は他の子供たちとは違う。私がそういうふうに育てたからな」
公蔵がため息を一つ落とす。
「システムに乗れば、非情な判断を迫られることもあるだろう。 だがな、総士。それでも情を切り捨てるな」
島にとって総士の考案する戦いが有益であったとしても、それはパイロットを死に追いやる可能性が高い。
「死者はどうやったって生き返らんのだ。十四年――。十四年、この島で過ごした友達なんだろう?」
それは公蔵が総士を育ててきた年数でもあった。
「お前のその気持ちで、パイロットを生かしたまま帰還させてやれ。パイロットも島の一部だ。
情を切り捨てれば、その判断を誤ることになるぞ」
「それがL計画を承認したものの言葉ですか?」
夏休みが明けると同時に島をあとにした人々がいた。
総士のやり方を避難するというのなら、自分はどうだ。
島を守るために、竜宮島に偽装したLボートを囮にしたではないか。
「同行した生駒は生き残る気でいる。だからこそ承認したんだ」
「詭弁、ですね」
「そう思うのは、お前の勝手だ」
公蔵が苦々しく吐き出す。
気持ちとはかけ離れた現状がある。
誰かを犠牲にしなければ、誰も生き残れない。
非難し非難され、けれど取れる道など限られているのだった。