君の手で





生徒会室に唯一ある、アーカーブに接続もしていない旧式パソコンは、 簡単な事務処理にしか使えない。
各学年の文化祭実行委員から提出された領収書を整理し、 総士は会計報告書をまとめていく。 机の方では果林が、この一年の間に増えた書類を必要なものだけ残し、 不要なものを四分割して、メモ用紙に仕立て上げていた。 キーボードを打つ音と、はさみが紙を切り裂く音だけが部屋に響く。

時間の流れは早い。
体育祭が終われば、生徒会の引継ぎが行われる。 行事にかかりっきりになっている間に、いつしか暑さも薄れ、 蝉も鳴くのをやめてしまっていた。 総士も果林も、来期の生徒会に加わるつもりはないため、 三年生ともどもメンバーが総入れ替えになる。 CDC勤務見習いの自分と、テストパイロットである果林。 大抵二年生の生徒会経験者が、 次の会長になるのが慣例となっている中、こういった事態は珍しいが、 先生たちは事情を知っているため説得しようとはしなかった。 何も知らない同級生たちは、剣司と総士の対決で賭けをしたがっていたが、 総士にはもとよりそんな時間も余裕もない。

「……会計報告書の作成は終わった。 僕はCDCに用があるから先に帰らせてもらうが、蔵前はどうする?」
「私も行くわ。検査の予定があるから」

果林がはさみを置いて、紙の隅を整える。 穴を開けて紐を通せば、メモ帳の出来上がりだった。
総士はパソコンの電源を切って、画面が完全に落ちるのを待つ。 お待ち下さいという、しばしの表示。 しかし型の古いパソコンはなかなかシャットダウンされずに、同じ言葉だけを繰り返し続ける。 「旧式め」と総士が悪態を吐いたところで、ようやくそれはプツンと切れたのだった。





司令室の扉をくぐる。
学校に制服はないが、アルヴィスではその着用が義務付けられており、 普段の生活を公私に分けるのなら、明らかにこちらが公けなのだと強く意識する。 総士は下っ腹に力を入れ、姿勢を正した。

「情報システムにおける改善点をまとめたものを、お持ちしました」
「ああ、今すぐ目を通す。それまで待てるか?」

父親であってもここにいる限り、表面上は上司の扱いである。
もとより、そんなに馴れ合うような親子関係でもない。

「はい、わかりました」

気をつけから休めの体勢に移行する。
しかしただ待つことほど暇なことはないので、 頭の中ではこの前憶えたばかりのファフナーに関する知識を反復させていた。 幼い頃から行われているメモリージングのおかげで、 機体の操作は嫌というほど染み付いているし、改めて憶える必要もないが、 開発中のノートゥングモデルに関しては違う。 それは微調整を繰り返され、日々進歩しているのだ。 インターフェイス自体はそれほど変わっていないので、操作に支障はない。 それでもファフナーがどういう原理で動き、 どういう行動が可能なのか知っておくことは、決して損にはならないだろう。

パイロットが一体化できれば、機体はその性能を発揮できる。 ファフナーブースターを使わない状態では理論上、 二十二.五メートルの跳躍が可能だとされているが、 実際はパイロットの意識状態にかなりの影響を受ける。 パイロットがそれを跳べないと判断するのなら、ファフナーは跳べない。 人間はその距離を跳べなくとも、ファフナーなら跳べる。

パイロットにはより適合率が高い者が選ばれるが、 横たわるその意識の差を、限りなくゼロに近づけていくのがパイロットの訓練なのである。 だがいくら訓練しても、機体性能以上の動きはできない。 ファフナーでできること、そしてその限界値――。 あれに乗ろうと思うのなら、知っておかなければならない。 自分は今やCDC勤務なのだから、そんな必要はないとわかっているのに、 憶えることを止められないのは未練だろうか。

公蔵は手にした書類に数分で目を通し、それを机の上に置いてこちらに向き直った。

「CDCには慣れたか?」
「別に……、問題はありません」
「CDCに問題はない……、か。なら総士、お前は自身はどうだ。まだ不満か?」

てっきり書類の可、不可について述べられるものだと思っていたから、 突然の不意打ちに戸惑う。 あのお盆祭りの日、総士の反論を抑圧したのは、目の前にいる父親だったはずだ。 「あなたがそれを言うんですか」と、そう言い返してやりたかった。

「先程の会議でお前の処遇が決まった」
「……CDC勤務ではなかったのですか?」

ファフナーに乗れないなら、CDCで働け。 そういう話だったはずだ。
総士が眉根を寄せる。

「あれはただの暫定処置だ。お前の能力を査定するためのな。 そして皆が承認した。今回の課題も合格点だ」

薄暗い中、公蔵と目が合う。
机の上に放り出した書類を持ち上げて、彼は満足気に笑んでみせた。

「ジークフリードシステムに乗れ、総士」
「システムに、僕が……?」
「高い情報処理能力と、ファフナーに関する知識。 そして何より、他人と思考を共有した状態で、己を保つということ。 ファフナーと一体化できないというお前の欠点は、あのシステムにおいて長所となる。 ……自分に何もできないと思うのなら、今できることをしろ。 そう言ったのを憶えているか?」

あのときはそれを悔しさと共に聞いた。
ファフナーには乗れない。 それがわかったとき、けれど全てから背を向けることも、総士には許されていなかった。 役立たずなら役立たずなりに、使い道がある。 あの言葉はそういう意味だと思い、それをばねにここまで来たのだ。

「……乗れるな、総士?」

負けず嫌いな総士の性格を把握して、 誤解したならしたで構わないと、そう思っていたのだろうか。 父としてよりもアルヴィスの司令として接することが多いくせに、 ここぞというときに親の顔をしてみせる。

「――はい」

答えた瞬間から全てが変わる。 ただ生きることに価値などない。
役目があるから全てを許せる。 自分が生きることも、他人がそこに存在することも――。





司令室から続く廊下の一角にある、休憩スペース。
そこで果林は自分の手を静かに見下ろしていたが、 足音で人が来たことに気づいたのか、顔を上げた。

「ゴメン」

肩を落とした彼女はどこか小さく見え、アルヴィスの制服さえ着ていなければ、 どこにでもいる少女のようだった。 彼女にかけられた迷惑の数は数え切れないが、 何について謝っているかの見当くらいはつく。

「……今更後悔しているのか?」

総士は足を止める。
あのときの自分には、確かに彼女を傷つけようという悪意があった。

「ううん。いろいろ迷惑かけちゃったから、ただ謝りたかっただけよ。 ……アルヴィスの方に浸かり過ぎて、上手く日常に馴染めなくて、 皆城君はまだこっち側にいたから、引き止めておいてほしかったの」
「そうか」
「私、ファフナーに乗るわ。 この世界のどこにも逃げ場なんかてないって、わかっちゃったもの」

日常と非日常の危ういバランスで成り立つ世界。
いくら現実逃避したところで、フェストゥムがいるというその事実は変えられない。 彼女はもう泣いたりはしなかった。

「僕はファフナーには乗れない。その代わり、システムに乗ることになった」
「そっか……」

彼女と会う度に苛々していた心が、嘘のように凪いでいた。

「……僕は君が羨ましかった。 僕は生まれる前からファフナーに乗ることが決まっていたし、 僕自身もそういうつもりでいたから」
「皆城君は男の子だもんね。 ロボットとか機械とか、かっこよくて憧れてたんでしょ?」
「……そうかもしれない」

彼女が苦笑する。
ファフナーに乗りたいという気持ちはずっとあった。 男だからなんて、簡単な理由かどうかはともかく、 自分が守られる側に安住できないのは、確かだった。

「ごめんね。 何かもうたくさんあり過ぎて、何から謝っていいのかよくわからないわ」
「僕もたぶん蔵前に嫌な思いをさせただろう。相子でいいんじゃないか」

妥協案を出す。 少し前からは信じられないくらいの気安さだった。

「そうね。じゃあ、これからよろしく」
「ああ」

ファフナーに、システムに乗って初めて対等でいられる。
島に偽りではない、真の平和をもたらすという目的のために、 志を同じくして戦う仲間。 ファフナーに乗れなくても、同じ痛みを共有できなくても、 このとき自分たちは、ようやく同じラインに立てたのかもしれなかった。





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ようやくの和解ですが、お題から大分ずれてる……?
いろいろ入れすぎた末路がこれか。
ファフナーのジャンプ力は小説版では軽く跳んだだけで5メートル。
あと20メートルまで跳んでも大丈夫、みたいな記述があったんですが、
設定資料によるとマークエルフの全長は35メートル。
人間だと身長の3〜2分の1くらいの跳躍が限度。
いくらファフナーが爬虫類を模していても、材質が金属だからなぁ。
重いし、ブースターを使わずにどこまで跳べるのかは正直わからないんですよね。
なので22.5メートル!
中途半端ですが、25メートルは跳び過ぎな気がする……。
肝心の二人の和解の方は、総士の性格からすると、システムに乗ることが決まって、
自分が何もしていないという状態を脱してからでないとできない。
もともと果林が乗れて、自分が乗れないという嫉妬が全ての元凶なんだしね。
ということでここまで長引いてしまったわけですが、これで二人の関係も一区切りです。