鮮やかなメモリーズ





文化祭当日、校舎と体育館に囲まれた広場は、 商店街から出張してきた商店が軒を連ねていた。
昼どきを若干過ぎたものの、客足はまだ衰えず盛況らしい。 校舎と体育館の屋根から伝う雨どいに結びつけた、 赤いビニール紐が風にはためく。 グラウンドが明日の体育祭に備えて、部外者立ち入り禁止となっているおかげで、 猫の額のような土地に人口が密集していた。

「総士、クラスの出し物が見たかったら、行ってきてもいいぞ」
「……何言ってるんですか。そんな余裕はありませんよ」

ほとんど顔見知りしかいない島で不審者チェックもなかろうが、 生徒会は校門脇にテントを設営し、入場者に記名をしてもらっている。 それと引き換えに体育館の演目やら、 各クラスの展示場所が書かれたパンフレットを手渡すことになっているのだ。

「本部の留守番くらい俺がやるしさ。 いざ何かあれば、優秀な副会長が駆けつけてくれるだろ?」
「生駒先輩に同情します」

肝心の生駒祐未は現在、舞台の袖で進行係を勤めているはずだ。
そう簡単に飛んで来れるものでもなかろうに、 本気か冗談か判断がつかないことを、ときどきこの生徒会長はおっしゃってくださる。 剣司がもし生徒会長になって、 自分がサポートに回ることになったらこういう関係になるのだろうかと、 総士はその未来予想図に少々げっそりとした。

「ははは。……楽しんでこいよ。 裏方で演出するのは生徒会の役目だけどさ、俺たちにだって楽しむ権利くらいある。 全力投球は総士の悪い癖だぞ?」
「要領が悪いということですか?」

何でも完璧にこなさなければ、気が済まない総士だ。 欠点を述べるような遼の言い方にかちんと来る。 そんな総士に遼は目を細めてみせた。

「お前一人が苦労する必要はないって話。 上手く折り合いをつけてやれよ」

子ども扱いされているようで癪だが、 学校という世界は基本的に年功序列で、アルヴィスとは違う。 精神面でも肉体面でも、子供のうちでの一年の差は、 大人のそれと比較にならないくらい大きかった。 先天性の疾患で学校を休みがちな先輩を見上げ、ため息を吐いて席を立つ。

「……行ってきます」
「帰りに焼きそば、よろしくなー」

総士がしばし悩んで出した結論に、遼は手を振って答えた。





光が遮られた館内に、総士はカーテンの隙間から滑り込んだ。
舞台袖に行っても、特に手伝えることもないので、足手まといにしかならないだろう。 だったら観客としてみんなの勇姿を見届け、 あとで労いの言葉でもかけてやった方がよっぽどいい。 暗い中、空いている席を探して歩き回るのも面倒なので、そのまま壁に寄りかかる。

舞台の上では、シンデレラが継母と二人の義姉に雑用を押し付けられているところだった。 三人は今夜、お城の舞踏会に行くという。 もちろんシンデレラは留守番だ。 そんなお馴染みのストーリーが展開されている。

暗闇の中で、総士は軽く息を吐く。
ここしばらくずっと根を詰めっぱなしだった。 始まればあとは終わるのを待つだけ。 一般の生徒たちにとっては、今日までが文化祭で明日の体育祭が済めば、 秋のイベントは終了となるが、生徒会は後日事務処理まで行わなければならない。 夕方からはまた作業続きだ。 それを考えれば、今ここで休憩をくれた先輩に感謝すべきなのだろう。 昼食に焼きそば。 将陵会長のリクエストの答えるべく、会場の配置図を思い出す。

そのとき、入り口のカーテンが揺れた。 総士は暗闇に慣れ始めた目を、逆光に瞬かせる。

「……羽佐間?」

お世辞ながら、視力はそんなにいい方ではない。
それでも壁に手をついて身体を支える髪の長い少女に、他に心当たりはなかった。

「皆城君……? 劇は?」
「まだ始まったばかりだ。早くこっちへ――」

閉ざされた空間に、舞台に差す照明とは違う、澄んだ外界の光が入り込む。
内と外の間で動きを止めた彼女を、他の観客の迷惑にならないようにと総士が手招いた。 その瞬間、総士に応じようとした翔子の身体が崩れ落ちる。

「大丈夫か!?」

小さく殺した声に、後ろの方に座った客が振り返る。
仕方なく総士は、翔子の身体を外へと押し戻した。

「しっかりしろ。とりあえず保健室まで運ぶ。 お姫様抱っこなんてできないからな、背中に乗れるか?」

翔子は総士の呼びかけに、かすかに頷いて見せた。
もともとよくなかった顔色は紙のように白くなり、脂汗が浮かんでいる。

「……ねぇ、皆城君。少しだけでいいから、みんなの劇を見させて」
「……羽佐間」
「シンデレラのティアラとか、作ったの私だから……。少しでいいから見ておきたいの」

総士の声に咎めの響きが混じる。 それでも翔子は途切れ途切れに、そう吐き出した。 真矢が学校に来られない翔子にも、何かできることがないかと探し、 総士もときどき材料や完成品を運ぶ手伝いをしたものだ。 「ここまでできたの」と言ってそれを見せる彼女は、いつも誇らしげだった。

「いいから乗れ」
「皆城君」
「見たいんだろう? だったら乗れ」

総士のシャツを掴むだけだった翔子が、背中に体重を預けてきた。

「うん……、ありがとう」

カーテンの内側へと戻る。
魔法使いがシンデレラを哀れんで、魔法をかけるシーン。 かぼちゃは馬車に、ねずみは馬に姿を変える。 そしてシンデレラはぼろを纏った少女から、一夜限りのお姫様になるのだ。 ティアラのビーズが照明に反射して、遠目にも光って見えた。

「行くぞ」
「うん……」

総士は翔子を背負って走り出した。 道行く人々が、物珍しげに振り返る。 似合わないことをしている自覚はあった。

「一騎君もね、昔始業式の日に負ぶって行ってくれたことがあるの」

翔子がぽつりと漏らす。

「……あいつらしいな」
「一騎君、優しいから……。 私、その日まで……、 自分が持ってないものが本当はどういうものだったのか、全然知らなかったの。 だからそれを見せてもらえたこと、すごくすごく感謝してる」

鮮やかな記憶。
昨日のことさえよく思い出せないときもあるのに、 どうして何年も前のことを、人は鮮明に憶えていたりするのだろうか。 幼かった頃、楽しい出来事は数限りなくあったはずなのに、 それを思い出すとき、翔子のように楽しいことを楽しいと、 うれしいことをうれしいと言えなくなったのは、総士の罪だった。 総士が一騎を同化しかけたあの日から、 それ以前の記憶も、それ以降の記憶も、全てあの日に行き着く。

後悔はしていない。 散らばる緑の結晶。
痛みと共に刻まれた印は、総士を全とは切り離された個だと教えてくれたから。

「それが、たとえ手に入らないとわかっていても?」
「……ダメだって、はっきりわかったからかな。 ないものねだりすることは、もう止めたの。 今は自分ができることをきちんとやればいいって、そう思えるようになったから」

事実はときに、人を強くするのだろうか。
それでも手に入らないと思うから、なおさら焦がれることもある。 ファフナーと幼なじみと過ごした遠い日の記憶。 自分はいまだにないものばかり、ねだり続けていた。





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装われた日常。
今までの流れからすると、果林とのことを無理矢理意識の外にやってる不自然な感じがね、
書いてる本人にとっては非常にツボでした。
総士と翔子は一騎をはさんでいろいろ絡めたいと思ってたので、
その野望が一つ達成できて非常に満足です(笑)
そして予想外に出張る将陵先輩……。
総士をきちんと子供扱いできるのは、彼しかいないという信念のもとに登場させたのですが、
今後彼があそこまで出張るだなんて、一体誰が予測しただろうか……。