どこにもいない彼と対話する方法 1





身体が溶ける。
自分の皮膚の表面が爛れて、蠢いている。気を抜けば、自分という存在さえ維持できなくなりそうだった。

初めてモルドヴァでマークザインに乗ったとき、一騎は怒りで我を忘れコアの制御を失った。 機体がドロドロに溶けて、敵を、大地を、マグマのように飲み込んでいった。 ザルヴァートルモデルは瀬戸内海ミールから採取したコアを、敵の読心能力を防ぐためではなく、 無尽蔵なエネルギーを得るために利用した最初の機体である。 自分の周囲に存在するものを、大気中の微細な塵に至るまで同化し、エネルギーに変換する。 フェストゥムと同じ原理で動くただ一つの機体だった。

彼らは接触するものを、破壊もしくは同化することで無に還す。
暴走したマークザインはまさにフェストゥムそのものだった。 周囲にあるものを見境なく、混沌のうちに引きずり込んで増殖する。 皆城乙姫の導きにより、コアに対話するという意志を――、 そのために全や無ではなく、個として存在を保つ必要があるということを示すまで、 ザインはドロドロに溶けたままだった。 全てを飲み込み続ける、同化現象の塊り。 他のファフナーと変わりのない形を保っている今でさえ、あれがザインの本性なのだと一騎は思っている。

決して人に操作できる機体ではない。
爛れた皮膚の表面から侵入してくる何かが気持ち悪い。 自分の肌が腐敗して、そこに蛆虫がたかっているところを想像した。 無理に立ち上がろうとすれば、かろうじて纏っている皮膚が腐り落ちてしまう。

違う、違う、違う。
こんなのは自分ではない――、自分はこんな存在ではない!

「パイロットのメンタルが異常値を叩き出しています」
「訓練を中止します。早くコクピットブロックを下してちょうだい!」

遠見千鶴が計器を離れ、ザインの側に駆け寄った。
卵型をしたコクピットブロックが引き降ろされる。 降りてくるまでの一瞬が酷く長く感じられた。 ハッチを開けると、同化現象によりほとんど視力を失った目一騎の目が、わずかな光を感じたらしく彷徨う。

「訓練は中止よ。……自分で立てる?」
「……はい。何とか」

先程までの感覚を払拭するように、一騎はシナジェティックスーツから覗く腕をさすった。
何も変わらない、いつも通りの自分の身体だ。 そのことにほっと息を吐く。 よろめきつつも自力で起き上がった。 先程まで自分自身でもあった白亜の機体は、搭乗者に与えたおぞましい感覚とは反対の、静謐さを持ってそこに存在している。 何人にも侵されない、一騎だけが乗ることのできる特別な機体だった。 それはすでに過去形だ。 遅まきながら愕然と、一騎は自分があの巨人に拒絶されたのだということを理解した。





整備担当の小楯保が資料をめくりながら、疑問符を浮かべた。

「コード形成数は変わっちゃいない。 ……けどファフナーに乗れないって、何だそりゃ」

本日の幹部会議の議題は、同化現象の治療のため長らく第一線を退いていたパイロット、 真壁一騎の復帰についてである。 視力はあまり回復しなかったものの、視覚情報を脳で直接受け取るファフナーにとって、 そのことは搭乗の妨げにならないとして受理され、先日起動テストを行った。 スーツなしでも機体と一体化できるといわれたほどの、コード形成数を誇る一騎であったが、 今回は機体を動かすことすらままならなかった。

「恐らくノートゥングモデルになら、今まで通り搭乗することも可能だと思います」
「問題はマークザインか……」

日野洋治がフェストゥムに見出した可能性と、ミツヒロ・バートランドの狂気が作り出した、 この世にただ一つのザルヴァートルモデル。
いまだに全てを解明することができない未知の機体である。

「相手のために自分がこうありたいという上位の自己意識により、 機体が引き起こす同化現象の感覚に耐え、個体としての自己を保つ。 以前マークザインの生成過程の聞き取りで、 一騎君は総士君と対話するために、マークザインをあの形にしたのだと言っていました」
「つまり皆城総士がいなければマークザインは動かない?」

史彦が最悪の可能性を口にした。
マークザイン一機で、ノートゥングモデル数機分に匹敵する。 それが動かないとなれば、島にとって大きな損失だ。

「いいえ、確かに総士君が乗るシステムと連結した方がザインの状態は安定します。 けれどシステムがないと動かないというわけではありません」
「クロッシングなしでのモルドヴァからの単独飛行も可能でしたし、 北極では他のパイロットとのクロッシングでも問題はありませんでした」
「じゃあ、何が原因なんだ?」

解せないという調子で返す保に、千鶴が仮説を述べた。

「あくまで推測の域を出ませんが……、 一騎君はザイン搭乗時に、総士君を基準に自分がどうあるべきかの定義づけを行っています。 それはシステムや物理的距離に縛られない、一騎君がイメージする総士君のための自分なのだと思います」
「皆城総士を物理的に失ったことで、一騎の中の皆城総士像が揺らいでいる。 だからザイン搭乗時の自己形成ができない……、ということか?」

死者は生者には勝てない。
いくら大切にしていても、死者の記憶は風化して消えていく。 生きていくとはそういうことだ。

「もしくは、いなくなった総士君のためになる自分というものを、 一騎君が明確にイメージできないでいるのかもしれません」

揺らいでいるのは総士か、一騎か。

「相手が存在するのなら、相手のために存在する自分には意味があります。 どこにも存在しない相手に対して、自己をどう定義づけるのか。 そうやって作り上げた自分という存在にどういう意味があるのか。 それを昇華できない限り、一騎君は二度とザインには乗ることはできないかもしれません」





史彦はメディカルルームまで同行し、一騎とともに千鶴から会議で聞かされたのとほぼ同じ説明を受けた。
一騎はいまだに皆城総士の帰還を信じている。 総士自身が同化現象で肉体を失う前に、フェストゥムの持つ存在と無の循環を――、 無からの存在の再生を説いたらしい。 もう一度自分という存在を作り出し、必ず島へ帰ってくると。
一騎が表面上だけでも冷静さを保てたのは、その約束のおかげだろう。 それでも一騎は自分の身体が動くようになると、よく姿をくらました。 まだ麻痺の残る四肢を引きずって島を歩き回り、 倒れた一騎を溝口恭介が見つけて、かついで帰ってきたことも一度や二度ではなかった。
皆城総士の話題は一騎の逆鱗に触れる恐れがある。 告げられる内容が、せっかく落ち着いてきた一騎をまた不安定にするのではないか。 それだけが史彦には気がかりだった。 そして案の定、話が進むごとに一騎の目が座り、剣呑な雰囲気を放ち始める。

「……それは、俺が総士を忘れてるって、総士の言葉を信じてないって、そういうことですか?」

静かに押し殺した声だった。

「いいえ、一騎君違うわ」
「誰も総士が帰ってくるなんて信じてない! ……それなのに俺まで総士のこと疑ってるって――」

総士が帰ってくるという、一騎の言葉を誰も否定したりはしなかった。
けれどそれは信じてくれたからじゃない。 仲間を目の前で失った一騎の心情に配慮して、口に出さないだけだった。

「一騎、落ち着きなさい!」

史彦が席を立とうとする一騎の肩を押さえつけた。

「父さんだって、あれは俺に希望を持たせるための総士の優しい嘘だったって、そう思ってるんだろっ」

激昂するのは、一騎自身が一度でもその可能性を考えたことがあるからだ。
じっとしていることのできない不安や焦りが心を侵食する。 だから探し回った。 自分が北極決戦のあとに帰り着いた岸辺を、フェストゥムとなった母が訪れたひとり山を。 総士の帰りをただ待つことなどできなかった。

「一騎君、落ち着いて。総士君は必ず帰ってくると言ったのでしょう?」

一騎が誰よりも信頼する皆城総士の言葉なら、一騎の心に届く。
そう思った千鶴の言葉は裏目に出た。

「信じてもいない人間が総士の言葉を語るな!」

唇を戦慄かせる。
立ち上がったはずみで丸椅子が転倒し、ワゴンにぶつかって盛大な音を立てた。 それは決して穢されてはならない、一騎と総士だけ約束だ。 今それを口にした千鶴にも、信じてくれるだろうと仲間たちへ知らせた、かつての自分にも殺意が沸いた。

「私たちの言葉は信じなくてもいい。だけど総士君の言葉だけは信じてちょうだい」

掴み掛らんばかりの勢いの一騎の手を取り、精神が安定するように促す。

「……ザインは総士君と対話するために作ったのでしょう? 一騎君は総士君が帰ってきたら何を話したい?」
「……総士と話?」
「そう、昔の島が平和だった頃や戦いの最中の話でもいい。 総士君が帰ってきてからの未来の話でもいいわ。 何か一緒にしたいことはある?」

そう言われて、一騎は困惑したように考え込んだ。
一度島を出て戻ってきたあと話そうと言ったけれど、お互い口下手でとても会話になんてならなかった。 それからお互い信頼し合って、親友と呼べるくらいになってからでさえ、 他の友人たちと自分とで、総士について知っていることにどれくらいの差があったというのだろう。 全然時間なんて足りてなかった。 もっと総士と話がしたい――。 その逡巡の時間が長かったか短かったかなんて、史彦にはわからなかったが、 一騎が答えを出す瞬間を見守った。

「……先生。やっぱり俺も、総士のこと信じてなかったのかもしれません。 総士が帰ってきてからの未来の話なんて、考えたこともなかった」

話せなかったことはたくさんある。
一緒にしたかったことも。
全ては失われたものだと思って、嘆いていた。

「……ザインは総士君のためにこうありたいという、一騎君自身の姿なの。 一騎君は総士君が帰ってくるときに、どういう自分でありたい?  それがイメージできれば、きっともう一度ザインに乗れるわ」

モルドヴァでザインを作り上げたときのように、自分という存在を作り直す。
総士と再び会う日のために、一騎はそう決意をした。





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普通に本編後の話ですが、私の中でこれは天地記念の話です。
天地の時点では一騎は一応パイロットを引退していて、普通に生活しているということになっています。
けれどファフナーに乗れなくなったとか、そういうわけではないようで。
そこら辺のどうなのよというところと、ちょうど天地見に行くときにDVDで15話のあたりを見直して、
遠見先生の解説を聞くと、「総士がいなくなったら一騎はザインに乗れないんじゃない?」みたいな予想も少し出てきて。
そのことについて自分なりに決着をつけたいがための話でした。